はじめまして、SHO CLUBのしょうと申します。
新卒でメーカー企業に入社したはいいものの、人間関係のストレスが原因で適応障害に。
なんとしてでも会社に属さずにお金を稼ぐ方法はないか?と模索し、副業でアパレルせどりを開始。
初めはお小遣い程度しか稼ぐことができず、赤字になる月もありましたが、副業を始めて1年で本業の収入に並び、退職を決意しました。
退職後は収入が2倍3倍と右肩上がりし、今では働く人・時間・場所に縛られない自由な暮らしを送っています。
このブログでは、個人で稼ぐ力を身につけたい方や、副業で独立したい方向けに助けになる記事が書ければと思っています。
ブログ(SHO CLUB)を始めたきっかけ
ブログを始めた理由は、会社に属さない暮らしを求めている人や自分に合った副業を探している方向けに、少しでも役に立つ記事が配信できないか?と思ったからです。
副業推奨の今の時代、個人で稼ぐ方法は探せば沢山見つかります。
ただ、副業をやったことがない人にとって(僕もそうでした。。)、「何から手を付けたらいいかわからない」「自分にはできない」といった悩みをもつ人は、多くいらっしゃるのではないでしょうか。
自分も同じ悩みを持っていたので、今まで感じたことのある疑問や不安の解決方法を実体験をもとにお伝えできればと思い、ブログを立ち上げました。
経歴
1997年 兵庫県生まれ、兵庫県育ち。
高校…兵庫の県立高校
大学…関西学院大学
■部活
小・中で軟式野球部、高校でソフトボール部に所属し、高校2、3年では全国大会に出場。
■趣味
・海外旅行(学生時代バックパッカーにハマる)
・筋トレ(歴2年 週3でジム通い)
・古着屋巡り
ここからは、学生のころからの経歴を少し長くなりますが、紹介させていただきます。
「継続は力なり」ということを学んだ高校時代
高校は県内の県立高校に通う、普通の高校生でした。
部活は中学まで続けていた軟式野球を辞めて、ソフトボール部に入部します。3年間部活に励み、2度全国大会に進むことができました。
全国大会での最高成績は1回戦突破/2回戦敗退という結果でしたが、レベルの高い舞台に自分たちの力で進めた時の喜びは、この上ないものでした。
部活を引退した後は、県内の大学、関西学院大学に進学するために猛勉強。
受験勉強を始めたころに受けた模試の判定はE判定で、合格可能性は、なんと2%でした…。
今となっては、よく諦めずに勉強したなと思います、、、笑
担任との面談でも「やめておけ」「志望校を一つ落としたほうがいい」と言われながらも志望校を曲げずに行動できたのは、兄が同じ関西学院大学に通っていて、楽しそうなキャンパスライフを送る姿に憧れていたからです。
中々伸びない成績と、まわりからの否定(愛のあるアドバイス?)にむしゃくしゃしながらも、憧れを叶えるためにがむしゃらに勉強を続けた結果……
なんとか、現役合格することができました!
合格発表通知に「合格」の文字が書かれていたときは、本当に嬉しかったです。
大学受験を通して、諦めずに行動したら下位2%からも這い上がれることを学びました。
”自分にとっての幸せはなにか”を学んだ大学時代
大学に入学してからは、海外に興味があったこともあり、海外ボランティアサークルに所属します。
長期休みを利用して東南アジアの貧困地域を訪れ、現地のボランティアスタッフと協力して物資支援や教育支援などを行います。
大学に入学するまで海外に行ったことがなかった僕からすると、異国の地の雰囲気は新鮮で、現地の方々との交流は学びの多いものでした。
なかでも今までの自分の常識を覆したのは「あなたにとっての幸せはなんですか?」と、ある家族に質問したときのことです。
その家族のお母さんは「朝、穏やかな気持ちで起きて、子供たちの笑顔が見れるだけで幸せ」と答えてくれました。
決して裕福とは言えない環境で暮らす方々でしたが、その言葉を聞いて、幸せに必要なものはお金や豪邸などの物質的なものではなく、感情的なものなのかもしれないと思うようになりました。
ボランティアの経験がきっかけで海外にハマった僕は、大学が長期休みに入ると必ずといっていいほど、海外旅行に出かけるほどになりました。
大学の間には合計10か国を旅行し、インドでは1ヵ月間、南から北に北上する列車旅をしたり、真冬のトルコまで気球に乗りにいったりしました。
海外で沢山の旅人と出会う中でいつも感じていたことは、自由に生きている人たちが多いという印象でした。
会社を辞めて、憧れだった世界一周を始めた旅人や、フリーライターとして働きながらパソコン片手に旅行に来ている人を見て、そんな自由な生き様に憧れを抱きます。
仕事第一の考え方ではなく、自分が幸せだと思う感情に任せて生きることができれば、人生はもっと楽しくなるということを海外旅行で学びました。
人生のどん底をさまよった会社員時代
大学卒業後は機械メーカーの海外営業職に内定をいただき、就職しました。
海外の顧客に対して自社の機械を販売する会社だったので、得意の英語が活かせると思って入社しましたが、2020年入社の世代だったこともあり、コロナの影響をもろに受けることに。
もともと「営業職に就くと常に海外を飛び回るような仕事ができる」と聞いて期待していた分、期待していた海外営業ができないモヤモヤと、誰も予想していなかった状況だからしょうがないという気持ちが混じり、なかなか仕事に対するモチベーションが上がらない状況が続いていました。
そんな気持ちに追い打ちをかけるかのように、担当顧客(これがまた気性の荒いインド人!)と当時の上司から、罵声を浴び続ける毎日。
仕事はこんなに辛いものなのかと落胆し、その結果適応障害を発症してしまうことに(先輩いわく、当時は目が死んでいたらしいです…笑)
入社して2年も経っていない状態で、「仕事=つらいもの」という感情が生まれてしまい、「これから何十年もこの仕事を続けていては心が壊れてしまう!」と思い、会社員以外で稼ぐ方法を探し始めます。
副業を開始
特にスキルのない自分でもできる副業はないか?とネットで探していると、「アパレルせどり」という副業があることを知ります。
もともと古着屋巡りが好きだったこともあり、服には興味がありました。
自分の服をメルカリで売った経験もあったので、「これならできそう!」とYoutubeの動画を見て勉強して、古着屋で売れそうな商品を買ってきてはメルカリで売るようになります。
買ってきた商品が全く売れず不良在庫になったり、赤字になることもありましたが、だんだん数千円、数万円と利益が出るようになりました。
会社に頼らず初めてお金を稼ぐことができたときはとても嬉しかったですし、自分の得意で、かつ好きなことでお金を稼ぐことの楽しさを知ったのがこの時です。
会社員として辛い思いをして働くより「自分の好きなことを仕事にしたい」という強い思いから、1年間副業に励み、会社員の収入を安定して稼げるようになったことをきっかけに会社員を退職。
安定した仕事を捨てることに対する不安はもちろんありましたが、生きるうえで大切なのは「自分が幸せだと思う感情に任せて生きれているか」だと大学時代に学んだので、より幸せだと感じる道を選択しました。
現在
会社員を退職した今では、働く人・時間・場所に縛られない自由な暮らしを送っています。
そして、好きなことを仕事にできている現状に満足しています。
これからのことはわかりませんが「この選択が正しい選択だった」と自信をもって言えるようにがんばろうと思って行動しています。
さいごに
このブログでは、自分の体験や気づきについて発信しています。
個人で稼ぐ力を身につけたい方や、副業で独立したい方にとって、このブログが少しでも助けになれたら嬉しいです。
書いてほしい記事や、ご質問などございましたら、お気軽にコメントください^^
最後までお読みいただきありがとうございます!
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